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大徳寺塔頭孤篷庵♪

9月28日(日)に大徳寺塔頭孤篷庵の特別拝観に行きました♪
大徳寺本坊を訪ねた後のことです。

孤篷庵とは?
大徳寺塔頭寺院。作庭家、建築家、そして茶人としても有名小堀遠州が建立した寺院。
建物は重要文化財に指定されており、その中でも茶室「忘筌」は建築、茶の湯を知るものなら
一度は訪れたい聖地とも呼ばれております。
通常の概念とは異なる忘筌の独特な造りや鑑賞する方向から様々な表情を見せる近江八景を表した庭園など、
天才と言われる遠州の感性を存分に楽しめます。

孤篷庵の歴史
1612年 小堀遠州が自らの菩提寺として江月宗玩を開基に大徳寺龍光院内に建立。1643年(65歳の時)に
現在地に移設後、1793年焼失。
遠州の崇拝者、松平不昧公により再建。
方丈は1797年、書院・忘筌は1800年に再建。


孤篷の意味?
遠州が大徳寺111代住職の春屋宗園から授かった法号で「一艘の苫船」つまり遠州が生まれ育った
琵琶湖に浮かぶ一舟という意味である。

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こちらは大徳寺塔頭でも西の端にあるお寺であまり公開されないお寺で有名なところです。

行ってみるとやはり日曜日だけあり並んでいます~(*_*)

ちょっと躊躇しましたが、あまり機会がないので思いきって並ぶことにしました~☆

待つこと30分くらいでしょうか~(^^♪


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待ってる間に塀を撮ってみたりとか・・・(笑)

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普段は拝観してないのでこのような札があったりとか・・・


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このような立て札があったりとか~^^;

なんでも30人くらいずつしか入れない人数制限をしているそうで・・・

こちらはけっこう厳しいお寺のようです^^;


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で、自分で撮った写真はここまでです~♪
これから先は、公式サイト、観光サイト、パンフなどからちょうだいした画像です。

こちらは入り口のところから撮ったアプローチです。

これより先は撮影禁止とのことなので皆様ここで写真撮ってました~(笑)


この長いアプローチの向こうの突き当たりが入り口ではありません。突き当たりには腰かけがおいてあるが、
アプローチはその少し手前で右に折れ曲がり、方丈の南縁に続く唐門にいたる。
アプローチの長さの距離感とさらに折れ曲がると言う場面転換が別世界へと誘うのである。

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孤篷庵入り口の腰かけ。シンプルだがデザインに寸分の狂いもない。


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方丈(本堂)


方丈前の庭園は、広縁、落縁、敷瓦、波打ち際の低い植え込み、砂浜、二段の刈り込み、
外部の自然と連続的、段階的に繫がっている。
二段の刈り込みは、沖からあたかも波が打ち寄せるように作られている。
手前は砂浜に見立てられ、苔を生やさず、方丈とは岸辺に寄せる波のような低い刈り込みで
隔てられている。


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方丈前庭園

二重の刈り込まがきを作って水平線とし、船岡山の借景庭園で向かって左手には編笠門がある。
修行僧が被る竹で編んだ笠に見えることからその名がつけられた。





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忘筌(茶室)

忘筌(ぼうせん)の一番の特徴はやはり、正面の明かり障子が半分になっていて、下が吹き抜けになっていることである。
この明かり障子部分がお茶席のにじり口の変形版となっている。
そのほか、お点前席の位置など遠州以外にはないお茶席の造り方となっている。


忘筌の間から庭を見る。右手に手水鉢「露結」と石灯籠が見える。


「露結」は露地土間からの立居使いと、縁先からの蹲踞(つくばい)に両用できるようになっている。
また、露結とは露を結ぶという水の美称とともに、兎を意味する「露結耳」からきており
後述↓の「兎を得て蹄を忘る」の言葉と響きあっている。
石灯籠は三国伝来と称し、笠石が朝鮮、火袋が唐(中国)、竿石が天竺(インド)のものといわれている。
もちろん、言い伝えで本当かどうかは不明です^^;


「忘筌」という名は「荘子」の句から
「筌は魚に在る所以成り。魚を得て筌を忘る。蹄(てい)は兎に在る所以なり。兎を得て蹄を忘る。
言は意にある所以なり。意を得て言を忘る。」

意味 
筌は竹で編んだ魚を捕る道具、蹄は兎を捕る罠のことで、それらを捕まえたら道具のことは
忘れてしまうものであり言葉も意味が大事で、言葉自身はそれを現す道具であり忘れて良いものだという意味から
功を成し遂げた遠州が俗事から離れて風雅三昧に入る境涯を表したものといえる。

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直入軒前庭

湖景になぞらえて造られた近江八景の庭といわれる。
石組みと刈り込みを多く用いた書院式枯山水で平明優雅の趣がある。

左側に見えるすだれの向うは忘筌である。

赤土が水を表現しており苔が陸地を表している。


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直入軒西端から南庭を見る。蹲踞(つくばい)に蝉型の水覆いがかけられている。


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直入軒(書院)


直入軒内部です。
火灯窓(花灯窓)と床の間。右の部屋が山雲床。


直入軒は遠州が寝泊まり、仕事などを行った寺院内で一番プライベートな空間になっている。
そのため、南向きの部屋は本堂とこちらの2部屋だけとなる。
床の間や次の間(つぎのま)の入り口の純粋な墨絵の部分は探幽の襖絵である。




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山雲床(茶室)です。

山雲床(さんうんじょう)は四畳半台目、中柱出炉の下座床である。
大徳寺塔頭の龍光院にある茶室、密庵(みったん)席を模したもので、孤篷庵焼失以前はなかった。
現在の山雲床は1800年(寛政12)に復興されたものをここに移したと言われる。

↑の直入軒と山雲床は過去に一般公開されたことがなく、今回特別に拝観できたようです。



小堀遠州について

小堀遠州は幼名を作介といい、織田から豊臣へ、そして徳川へと政権が変わる乱世のさなかの1579年(天正7)に
琵琶湖の東岸近江の国小堀村、いまの滋賀県長浜市に在郷武士の子として生まれた。
ちょうど安土城の天守が完成した織田信長の絶頂期である。
しかし3年後には本能寺の変で豊臣秀吉の天下になり、1600年(慶長5)には関ヶ原の戦い、
1603年(慶長8)には家康が徳川幕府を開くという戦乱の中で、父と作介(遠州)は巧みに主人を変えていく。
徳川家康が征夷大将軍となった翌年、父の跡目一万二千石あまりを26才で相続し、
1606年(慶長11)28才にて後陽成院御所の作事奉行になる。
1623年(元和9)には伏見奉行となり、幕府の官吏として出世し、作事(建築)を担当するようになる。
二条城などの大きな幕府関係の作事をするだけではなく、宮廷とも密接なつながりを持ち、
仙洞御所などを作事するようになった。

織田、豊臣、徳川と激乱の世の中をうまく処して泳いできた父とおなじく、
武家と宮廷の間を泳いできた遠州には、自らが創造し追求してきた庭園や建物の空間は、
そして自らの生きざまと作品との間のありようは、晩年にいたって自らの眼にどのように見えたのだろうか。


以上、各種サイトより説明文等はいただきました。
こちらのお寺は、お茶の嗜みがあまりない私には少々難しいお寺でした^^;
でも、大変いろいろなことを知るきっかけとなったので訪問してよかったです(*^^)v




そして大徳寺まで来たからにはこれを食べなくてはというもの~(^-^)↓

今宮神社東門前にある2軒のお店、かざり屋と一和(一文字屋和助)です。

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あぶり餅です~(*^^)v

あぶり餅は親指大のお餅にきな粉をまぶしてから、炭火であぶり
甘辛い白味噌だれをたっぷり絡ませたもの。


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孤篷庵からは歩いてすぐの今宮神社東門前にあぶり餅のお店があります(*^_^*)


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いただきます~♪

ごちそうさまでした~炭で焼いたこげ具合がなんとも言えず美味しかったです(^-^)

やっぱりあぶり餅を食べるところが私らしいでしょう(^^♪




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by ayayay0003 | 2014-10-14 08:03 | 旅行
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